冷や飯倉子城物語冷や飯 倉子城村の四十瀬から松山川を少し下った所に葦高という村があった。この地は倉子城代官の直轄地ではなく、備前岡山藩の領地で在った。 この村の庄屋の高倉喜左衛門の次男は槍術に長けていた。永代名字大刀を許されている家柄であった。次男の六三郎は小作が庭に納めた米俵をぴょいぴょいと槍で一カ所に積み上げて遊んでいた。庭の一角には十畳ほどの白砂を敷き詰めた場所があり階段を上がって十二畳の部屋が作られ報告進言をするようになっていた。城のように雨戸障子の上にはいざと言うときの為に大戸がつり上げられそれを落とせば矢も鉄砲の弾も防げる様に創られていた。いわばそこは要塞のようであった。高梁川を挟んで他藩と接しているという事がそんな構えの家を造らせたのだろう。庄屋でありながら当主は小太刀に長けていて次男は槍術を良くこなした。 六三郎が槍の使い手であると言うことは岡山藩にもきこえていた。 暦の上では春であるがまだ雪解け水は高梁川の水嵩を増していない頃岡山藩から喜左右衛門のところへ六三郎に槍術の師範の要請が届いた。藩士に教えるのだから今の庄屋の身分では困るというので家老の土倉有喜のところへ養子に入る様にと一方的な下命であった。それは名目だけのもので週に一度岡山まで出向いて藩士に教えるということだった。六三郎は土倉六三郎雅久になった。 家は高倉のとなりに建てた。馬に乗って出入りが出来るように門も本家より高くしつらえられ屋敷も立派なものを造った。 六三郎は小者が手綱を引く馬に跨り登城をするようになった。 「おたね、世の中にはいろいろといい話が落ちている物だな」 嘉平は町周りから帰って一段落をしているおたねに言った。おたねは嘉平のいろいろな話を聞くのが好きだった。 「今日は少し足を伸ばして葦高まで行ってきた・・・」 「あそこは・・・」 「なあに庄屋の高倉さんとは昵懇の間柄・・・そこで、面白い話を聞いたぜ」 「戦でも始まるのかい」 「戦はとっくに始まっているよ・・・長州薩摩が知りていのは岡山藩が幕府につくかどうかということだが・・・。岡山藩はどちらにもつくめえ・・・。藩主は十四代の将軍職を家茂と争った慶喜の弟だが義理や人情で藩政を決める人ではねえ・・・」 後にどちらへもつかなかったと言うことで榎本武揚が率いる五稜郭へ出兵をさせられ多数の戦死者を出す羽目になるのだが・・・。 「それが話したいというのかい」 「いやそうじゃあない・・・高倉さんには六三郎という弟がいるのだが槍の使い手で岡山藩から請われ指南に出かけているんだが・・・庄屋の倅に習うと言うことに反対が出て家老の土倉の養子にはいったというわけさ・・・六三郎は槍に自信があるから少しは傲慢なところがあったのだろう・・・。稽古を付けての帰り土倉によってめしを食わして貰って帰るのだがその都度その都度冷や飯ばかり食わせられることに腹が立ったらしい・・・。 「養子だから冷や飯を食べさせられるのだろうか」とそれを兄の喜左右衛門にいったのだ・・・喜左右衛門は養子だから仕方が無いよとがまんするようにとなだめたのだが・・・まあ兄弟の情愛って奴か中に入って養子縁組を取りはからった城代家老にそれとなく言ったらしい・・・そのことが城代家老から土倉へというわけさ・・・」 嘉平はそこで一息入れた。 「それからどうなつたのさ」 おたねは先が聞きたいとせがんだ。 いつものように小者に馬のたずな取らせながら岡山城へ・・・藩士に稽古を付け帰りに養子先の土倉へ立ち寄り夕餉を馳走になり帰りを急いだが・・・庭瀬あたりを通りかかると腹がぐうぐう鳴って困ったらしい・・・」 「わかった、温かいご飯を頂いたのでしょう」 おたねは笑いながら言った 「なぜそれが・・・」 「庄屋のぼんぼんにはその意味がわからなかったでしょうね」 「おたねにはわかるのけえ」 「ええ、あなたが遠出をするときに私があなたに温かいご飯を食べさせたことがありますか・・・」 「そうか・・・」 「そうよ・・・」 「六三郎もそれに気づいて人間の思いを知ったといったらしいよ」 「本当の愛情は目に見えないところでするもの・・・温かいご飯では早くお腹が空くから、わざと冷や飯を作って・・・それが親心てもんだわよ」 嘉平はおたねをまじまじと見詰めた。 「いい女になった」と心の中で呟き「ありがとうよ」と心に言葉を落とした。 この話は六三郎の家に伝わる言い伝えとして残っている。 ジャンル別一覧
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